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日本の広島と長崎の記憶!待機、そして次の投下への準備

 第二次世界大戦末期、米国はできる限りの原子爆弾を製造していた。米国は、7月にニューメキシコ州の砂漠で原子爆弾の爆発実験を行った後、8月に日本の広島と長崎に原爆を投下した。


1回目の投下


日本への空襲と原爆投下作戦の基地として使われたのは、北マリアナ諸島にある小さなテニアン島だった。日本が統治していたが、1944年夏に米軍が占領した後、島全土が基地化された。


このテニアン島へ7月29日、「リトルボーイ」と名付けられた原爆の部品が運び込まれ、最終的な組み立て作業が行われた。8月6日午前1時頃、リトルボーイはB-29爆撃機「エノラゲイ」に乗せられ、基地を飛び立った。この日、広島の上空には雲がほとんどなく、午前8時すぎに町が視界に入った。


8時15分、原爆が投下された。それは44秒間落下した後、TNT火薬およそ1万5000トンに匹敵する威力で爆発した。広島はほぼ一瞬にして炎に包まれ、破壊された。エノラゲイは1万メートルの高度を1時間弱旋回して町を観測した後、テニアン島へ戻っていった。


第2の攻撃


ポツダム会談からの帰り、船の中で原爆投下の報告を受けたトルーマンは大喜びし、「歴史上最も偉大なこと」とコメントした。ニュースはすぐに報道機関に公開され、日本向けのラジオ放送でも流された。


8月6日時点では、広島が受けた攻撃についてよく把握できていなかった日本軍は、科学調査団を現地へ派遣した。日本の原子物理学の第一人者だった仁科芳雄教授は8月8日、広島から「倒れずに残っている建物はほぼ皆無」で、見たところ「いわゆる新型とされる爆弾は、原子爆弾である」と報告した。


日本がまだ広島で調査をしていたころ、次の投下準備は既に始まっていた。8月8日に気象予報を確認すると、作戦予定日とされていた10日の天気は思わしくなかった。そこでテニアン島の幹部はワシントンDCに相談することなく(トルーマンだけでなくスティムソンにすら知らせなかった)、当初の命令書により次の作戦遂行の決定権も自分たちにあると判断し、時を移さず原子爆弾「ファットマン」を組み立てて別のB-29爆撃機「ボックスカー」へ積み込むと、日本へと送り出した。


目標は、九州北端にある武器庫の町、小倉市(現北九州市の一部)だった。ところが、町の上空は雲のせいなのか煙のせいなのか(前日に近くの八幡市が空襲を受けていた)視界が悪かった。ボックスカーは45分間上空から目標を探していたが、やがてあきらめて長崎へ向かった。


1945年8月9日午前11時2分、ファットマンは長崎上空でTNT火薬2万トン相当の威力で爆発。ボックスカーはしばらくの間破壊の状態を観察してから、基地へ戻っていった。


日本の大本営は8月9日、数日前のソ連による宣戦布告とそれに続く満州侵攻について話し合っていた時に、長崎が攻撃されたとの報告を受けた。このとき、日本がさらなる攻撃を予測していたかどうかは定かではない。しかし2回目の攻撃があったことで、米国には爆弾が1個しかないかもしれないという期待は吹き飛んだ。


ところが、2回の原爆投下もソビエト侵攻も、日本の無条件降伏受け入れを引き出すことはできなかった。日本は、天皇制を維持するという条件付きの降伏を米国へ申し入れる準備を進めていた。


待機、そして次の投下への準備


米国の首都は騒然としていた。8月10日、日本から条件付き降伏案を受け取ったトルーマン大統領と閣僚らは、その内容を隅から隅まで精査していた。グローブス少将はマーシャル参謀総長に書簡を送り、「次の爆弾」は予想よりも早く準備できると報告した。


ニューメキシコ州ロスアラモスでは、次の爆弾に使用される部品を完成させて、テニアン島へ運搬するための作業が急ピッチで進められていた。8月12日か13日にも最後の部品がロスアラモスを出発し、その1週間後には日本に投下できる見込みだった。


トルーマンはこの報告を受けるなり、準備作業を止めるよう命じた。マーシャルはグローブスへ「大統領の明確な許可なしに日本へ原爆を投下してはならない」と書き送った。


いずれにしても、トルーマンは決定権を自らの手に取り戻そうとしていた。おそらく知らず知らずのうちに、新型爆弾の使用に関する決定権は自分たちにあると軍に思い込ませてしまっていたようだ。最初の原爆投下については承知していたが、2回目はそうではなかった。もし3回目があるとしたら、それはトルーマンが直接命令を下さなければならない。


だが、幸いなことにそれが遂行されることはなかった。トルーマンが英国大使と話をして間もなく、日本時間で1945年8月15日、日本は無条件降伏を受諾すると発表した。


もしあのまま戦争が続いていたら、次の原爆は確実に落とされていたはずだ。第3、第4の原爆投下は確かに、第二次世界大戦終結をにらんだ米国の戦略に含まれていた。


抑止力がないと戦争を回避できず、更に守りを強化するために兵器の破壊力をアップさせ続ける負のループから脱することができない。核廃絶への道のりはかなり厳しいと思います。恐怖によって「平和」が保たれている世界は、いつ崩壊するか分からず恐ろしいです。そんな状況を変えるために一般市民に何ができるか?


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