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ブリヂストンが男子ツアー撤退…原因は「ZOZOが割り込んできたから」

 ブリヂストンが男子プロゴルフツアーから撤退することが明らかになり、ゴルフ業界に衝撃が広がっています。



その理由はまず第一に、ブリヂストンはかつて「j'sメタル」の爆発的なヒットを記録するなど、ダンロップ、ミズノと並び、日本を代表する3大ゴルフ用品メーカーの一つであること(ゴルフ用品の製造販売は子会社のブリヂストンスポーツ)。また、その販売戦略の一環としてジャンボ尾崎をはじめとする有名プロたちをサポートしてきた存在でもあること。現在はあのタイガー・ウッズともボールの使用契約を結んでいます。そして何よりも、今回消滅することとなった「ブリヂストンオープン」が、日本のプロゴルフトーナメント文化史を支えてきた老舗トーナメントの一つであったからです。


この試合は男子プロゴルフ界にツアー制度が敷かれる前の1970年に、契約プロ競技の「ブリヂストントーナメント」として佐賀県鳥栖市のブリヂストンカンツリー倶楽部で産声を上げました。同ゴルフ場はブリヂストン発祥の地である福岡県久留米市にほど近い同社のサイクル工場跡地に、福利厚生施設として作られたゴルフ場です。



開催コースは東京よみうりカントリークラブを経て、74年大会から現在の千葉県・袖ヶ浦カンツリークラブ袖ヶ浦コースに移って定着し、数々の名勝負を生んできました。現存するトーナメントでは日本プロ、日本オープン、関西オープン、中日クラウンズ、日本シリーズに次ぐ歴史あるトーナメントでもあったのです。


ブリヂストンは82年から阿蘇ナショナルパークオープンのスポンサーにもなり、「ブリヂストン阿蘇オープン」という名称で93年まで12回にわたり開催していました。この12年間は春にブリヂストン阿蘇、秋にブリヂストンオープンと2試合を開催するほどの入れ込みようだったのです。秋の大会はのちにメジャータイトルを取ることになるニック・ファルド、ニック・プライスら大物外国人選手を招待し、日本のファンを喜ばせました。



そのブリヂストンオープンがなぜ、消滅することになったのでしょうか。実は2019年に日本で米ツアーのZOZOチャンピオンシップが開催されることになったあたりから、ブリヂストンサイドに男子プロゴルフ界からの撤退ムードが生まれたというのです。


当時を知る関係者が、匿名を条件に裏事情を明かしてくれました。


「ZOZOが割り込んできたことで、ブリヂストンオープンが1週動くことになったのです。この時、ブリヂストン側は日程の移動を受け入れる代わりに、トーナメント中少なくとも2万人の観客動員を達成することを要求しました。大会の注目度が尻すぼみになっていることを、大会の入場者数からも感じていたからだと思います。もし状況が改善されない場合は、男子のツアーから撤退することも示唆していたんです」



この年の大会は台風19号により3日目、最終日が中止となったため、それ以上の問題に発展することはなく、2021年まで大会は継続されることとなりました。しかしその不安が、この秋ついに現実のものとなってしまったわけです。


1981年の後半戦、約5カ月で6勝という衝撃デビューを飾ったシーズン以来、長年ブリヂストンオープンに出場してきた倉本昌弘(現・日本プロゴルフ協会会長)はブリヂストンの契約プロでもあり、丸山茂樹、谷口徹と並ぶ大会最多タイの3勝をマークしています。84年は4人プレーオフを制し、翌85年は青木功を最終ホールで逆転しての2連覇達成。92年の3勝目は西川哲との5打差を詰め、プレーオフ1ホール目で突き放す劇的な逆転優勝を飾っています。


それだけに倉本も「いろんな思い出がある大会だけに、なくなってしまうのは寂しい限りです」と、深いため息をつきました。ベテランであるほど、この大会に対する思い入れは深いはずです。



男子ツアーにとってさらにショッキングなのは、男子から撤退するにもかかわらず、女子のスポンサーは続けるという点です。


女子と比べられ、人気の低迷が指摘され続けてきたJGTO(日本ゴルフツアー機構)。選手全員がスポンサーに対して心底から感謝の気持ちを持ち、ファンが見て興奮するような渾身のプレーを続けていくことしか、失地回復の道はないように思います。


その環境を十分につくれていないことが今の惨状を招いていることをJGTOの上層部は真剣に考えているのでしょうか。先日、機構側と選手会が共同で新規トーナメントを立ち上げることが発表されました。しかし、本来、大会運営に関わることやスポンサーを見つけてくることは、JGTOの運営サイドの仕事であって、選手の仕事ではないはずです。



尾崎が先輩プロを尻目に優勝を重ね青木とライバルを競い合った時代がゴルフブームを作り上げた。以後、中島、倉本が追従、尾崎の100勝超をトップに数10勝のスターが数人登場した。


石川、松山の登場に至り、多くのファンを魅了した。その時代は女子プロは目立つ事なく、脇に追いやられた感があった。


現在は様変わり、毎週のように新しいスターが誕生、若い女性がアマの男子が叶わない力感のあるショットを続ける。


人気の低迷理由は簡単ー、アメリカでプレイできない数人の外人が多数の日本プロに勝つ。



アメリカで通用しない石川を無理やりスターに、と人気にオンブする。


青木、丸山、戸張が公共の電波でリョウ、ヒデキ、ユウタなど、強い選手を名前で呼んでお友達感覚、画面無視して井戸端会議と自慢話始める。


協会の上層部を変えない限りスポンサーは減り続ける、ファンも。

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