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高梨沙羅へのメイク批判の大きな間違い…「メイクしている暇があったら練習しろ」taka

 昨日2月5日に行われた北京五輪のスキージャンプ女子ノーマルヒルで3度目の大舞台に挑んだ日本のエース、高梨沙羅選手は素晴らしいジャンプを見せたものの結果は4位。惜しくも2大会連続メダル獲得をかなえることができなかった。多くのプレッシャーがかかる中で日本スキージャンプ界のトップランナーとして活躍してきた彼女を筆頭に、女性アスリートに対し「メイクにうつつを抜かしていないで練習しろ」という批判があがる現状はいまだに変わらない。実際、“アスリートにメイクは不要”なのか? アスリートビューティーアドバイザーとして活動する花田真寿美さんに、アスリートとメイクの関係性におけるリアルを解説してもらった。



アスリートがメイクアップ(以下、メイク)をすると「チャラチャラしている」「競技に集中していない」「モテようとしている」「イメージが変わってしまった」「メイクをする時間があるなら練習しろ」そんな批判をされることがある。「そんな古い考え、まだあるの?」と思う方もいるかもしれないが、つい先日も、とある競技のアスリートからそんな批判が怖いという相談を受けた。「成績が出ていないのにメイクにお金をかけている」などと周りから言われるそうだ。


メイクをして競技をする姿に注目を浴びたスキージャンプの高梨沙羅選手も、さまざまな意見を浴びせられているアスリートの一人。高梨選手のメイクについて書かれたネット記事や批判的なコメントを目にするたびに、疑問を感じていた。


高梨選手が全日本スキー選手権で優勝し大会3連覇を果たした2019年にも、彼女の優勝をたたえる記事に対し競技成績ではなくメイクや髪型などに対して批判的なコメントが相次いだ。その後も高梨選手に対するネットバッシングはエスカレートしていき、愛車やテレビ出演時に語ったことに対しても「調子に乗っている」というような攻撃が続いていった。


そのことについて書かれた記事に対し、Twitterでバドミントンの奥原希望選手は「これを読んだ時、アスリートは人間としての自由がないのかなと考えてしまう。普通の一女の子としてオシャレしたいとか、可愛くいたいとか、好きなものに囲まれたいとか思ってそれを実現したら...全て「調子に乗ってる」となるのでしょうか。」(原文ママ)と発信。


リオデジャネイロ五輪銅メダリストの元柔道選手、近藤亜美さんは「アスリートってなんなんだろう。スポーツ選手に憧れる人と同じように「普通」に憧れる事がある。人間だもの化粧したって、結婚したっていいじゃない。24時間365日スーツ着て常にパソコンに向かってる人なんて…いないよね。そゆこと。オンオフないと死んじゃうよ。」(原文ママ)とツイートしていた。アスリートがメイクをすることで批判されることに対し疑問を呈する選手たちも増えてきている。


アスリートがメイクをするのは、批判されるべきことなのだろうか?


メイクや肌の調子を含め、「ベストなコンディションの自分で競技に臨みたい」という選手は少なくない。


メイクをレース前のルーティーンにしている選手もいる。今年1月31日に引退を発表した陸上選手の木村文子さんは、宿舎を出発する前にメイクをしてからウォーミングアップをする。レース直前になると不安や緊張が出てくることがあるが、メイクをしている最中は集中するので雑念を払拭(ふっしょく)することができるそうだ。


また、緊張をすると唇が青くなってしまう体質の選手がいる。彼女はネットを挟む対面競技で相手との距離が近いため、緊張していることがバレると狙われたり、相手が強気になり攻め込まれたりする。そういったことを防ぐために顔色が良く見える口紅を取り入れている。


肌荒れを気にしていた選手は、囲み取材が苦手だった。何人もの記者に近距離でインタビューされながら「肌が荒れているなと思って見ているんじゃないか」とか、メディアを通して見た人にも「肌荒れしていると思われるのではないか」とか……そう考えると視線は自然と落ち、インタビューも早く終わってほしいとさえ感じるようになったそうだ。しかし、メイクを取り入れて肌をキレイに見せることでインタビューでも堂々と発言できるようになったと話していた。


表彰式前にメイクを施したスポーツクライミング選手の場合。彼女は普段全くメイクをしないそうだが、親御さんやコーチから表彰式が終わった後に「表彰台の上でいつもより笑顔が多かった」という言葉をもらったという。


さまざまな競技のアスリートのリアルな声に耳を傾けると、メイクをすることや髪型をおしゃれに変えることに対して頭ごなしに批判することが正しいことなのかどうか、改めて考えてみていただけたらうれしい。


例えば私たちが、すっぴんで街中を歩くとなった場合は、なるべく人に見られたくないし、自然と猫背になり、知り合いがいても気づかれないように……と、消極的な行動を取るだろう。反対に、プロにヘアメイクをしてもらったり、美容院の帰り道には「何か予定を入れたいな」「このまま帰るのはもったいないな」「誰かに見せたいな」というように、前向きで積極的な気持ちになることは安易に想像できるはず。「アスリートだから」と区別をするのはおかしいのではないか。


高梨選手は、私たち凡人が考えられない世界で、多くのことを犠牲にし、全身全霊でスキージャンプに臨んでおられることに一厘の疑いもありません。


そんな彼女のことを安直に批判することは、正直信じられません。


今回のケースに限らず、時として他者を批判することで自らの安っぽいストレス発散をしようとする一部の心ない人々の行為には、正直強い違和感を禁じ得ません。


何でもかんでももろ手を挙げて誉めるべしとは決して思いませんが、他者を批判する場合には、何よりもまず相手の立場に対する想像力を馳せることが必須だと、大学の教え子たちにも常々申しているところです。


筆者は、スポーツ法に関わる仕事もしてきたし、ヘビー級史上最強王者のひとり、マイクタイソン選手に対し、元のマネ-ジメントが争訟した時、元のマネージメント側で争訟アドバイスした経験を持つから、スポーツ法の角度から、この記事の背景を、分析したい。スポーツ法の視座から観ると、スポーツというのは、個人のスポーツ行為が、根幹をなす。だから、個人の心の自由、個人のハートとマインドの満足が、最高に大切な要素なのです!したがって、高梨選手が、いかなるメイクのルーティーンを持っていても、別の選手がいかなるルーティーンを持っていても、根源的に、こうした選手たち一人一人の心の自由、個人の自由です。この記事は、議論の、非常に良い機会を、日本社会に提示してくれている。個人のプレーを支える個人の自由の大切さを、いま、日本社会の中で、話し合いつつ、大切に、かみしめることは、今後の日本社会の未来展望を明るくすると考えます。


しかし、メイクは個人の表現の自由の範疇であり、自分の自由な表現を外的に明らかにするものと考えることができます。政治学、政策過程論的には多様性という、近年でも重要視されている自己表現、社会内の多様性にまつわる問題です。


また、これは人権にも関わるものであると考えられております。自らの自己実現、そうした個人の感覚の発露を認めないというのでは、全体主義と同様になってしまうのではないでしょうか。「高梨さんは、メイクをするたびにきれいになっている」という私の学生たちの声もあり、個人の自由の範囲として許容されるものでしょう。むしろ、これほど長く、アスリートの第一線で働けるのは、努力あってのことです。記録を残し続けるのはすごいのではないでしょうか。


勝負は時の運です。それに向かっての努力が意味をもちます。

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